自閉症スペクトラムで勘違いしていたこと
息子りくが自閉症スペクトラム(以下ASD)の可能性が高いことを知った後、ASDの文献や記事を読みあさった。
その中で、自分の中で勘違い、もしくは偏見を持っていたと、反省したことがある。
それはASDの人たちは「人に関心がなく、ひとりでいることを好む」といった勘違いだ。
つまり「人のことが苦手、もしくは人嫌い」なのではと考えていた。
確かに、視覚が人よりモノにいきやすく、集中している状態にはいると、周りに人がいないようが気がつかない。
人をみないということは、人の表情をみないので、空気を読んだ発言や行動がとれない。
だから周囲の人からすると
「あの子、目もあわないし、声をかけても無反応な時があるし、失礼なことを言ったりするから、私のこと興味ないのかしら」
と思ってしまう。
「自閉症」という言葉は、自分の中で閉じるという漢字なので、なおさら、一人で閉じた世界にいる症状を連想しやすい。
そのため先入観で、人が苦手で、一人でいることが好きなのねと私は思っていた。
息子がASDかもしれないという話を、りくの父親にしたとき
「一人の静謐な世界が好きな彼を認めてあげないとね」
という会話をしたりもした。
でも、今は違うのではと思っている。
ASDの療育方法で効果が高いと言われているABA(応用行動分析)。
良い行動をしたときにはご褒美を渡す。ご褒美には、子どもの好きなモノもあるが、褒めること、抱きしめることなどがある。
褒めたり、抱きしめたりされることがうれしく感じるのは、人に認められたい気持ちがあるのだろうと思う。
ASDの子が書いた文章を読むと、内面は豊かでいろいろ人の喜怒哀楽を感じている。
自分の感情と表情が一致していないことが多いので(視線が人に向かないので、どういう表情をしたらよいか学習が弱いからなのだろう)、周囲から誤解される。
それを繰り返していくうちに、自分の気持ちをわかってもらえないストレスに、後天的に人を避ける子や人が出てきてもおかしくない。
人に喜ばれたらうれしいし、人が悲しんでいたら一緒に悲しい気持ちになっている。
それを表現できないだけで。
息子に家庭で療育をしていく過程で、無表情だった我が子も、視線を人にあわすことが増えるにつれて、表情を学習し、よく笑うようになってきた。
もともとは人が苦手ではないし、一時的に集中して自分の世界にはいることはあっても、一人でいたいわけではないと感じる。
ASDの子たちにも、感情は同じようにあること。それを誤解しないようにしたいなと思う。