息子は自閉症スペクトラム

2012年7月に誕生した息子りく(通称)。2014年4月(1歳9ヶ月)に自閉症スペクトラムの疑いが発覚。2016年3月(3歳8ヶ月)に自閉症スペクトラムの診断あり。療育は早ければ早い方がいい。身をもって体験中。

親を苦しめる「経験不足」という言葉

りくは身体の動きのバランスがよくないため、よく転ぶ。

歩き方や走り方は体幹の軸がふらふらしており、その姿は少し滑稽だ。

3歳2ヶ月くらいにした、簡易的な発達テストでは、運動面は2歳半くらい。

 

 

自閉症スペクトラムの傾向がある子どもたちは、三半規管が過敏だったり、逆に鈍感だったりする傾向があるそう。

りくの運動の発達面が遅れているのは、三半規管の働きが弱い(強い?)せいかもしれないな〜と感じる。

 

それで、保育士さんなどの教育関係者や発達を診断する人から聞かれる言葉で気になる言葉がある。

「りくくんの運動神経の発達の遅れは、「経験不足」からくるものですね」

 

「経験不足」という言葉は、専門家からすると、単純に「本人が目安の発達を遂げるには、経験した方がよい体験が少ない環境にいる」という意味で言っているのかもしれない。

でも、親からすると、「子どものための経験を与えることが、(親として)不足している」というような、あたかも「親の失格」の烙印を押されたような気持ちになる。

 

発達障がいの傾向のある子の親の場合、育て方で悩んでない方はいないのではないだろうか。

(普通の子育ても何かしら悩みはあるだろう)

日々、子どもにとってよいやり方はないだろうかとか、やり方を試行錯誤してみては、子どもの反応に一喜一憂している。

 

りくが2歳半くらいから、よく転ぶことを気にして、ベビーカーを一切使うことをやめた。

幼児の足だと、時に20分くらいある保育園にも歩きで通い、お出かけも歩き。

 

機嫌が良い日や散歩日和の日はなんてことはない。

しかし、朝出掛けにうんちを漏らして、一分一秒を争って出かける日も、バス停にしがみついてバスに乗りたいと騒ぐ日も歩かせる。雨の日、寒い日は、玄関に置いてあるベビーカーを恨めしそうに眺めながら、何度も家を出た。

その上よく転ぶので、「歩くと転ぶから、歩きたくない〜」と泣く息子の手を引っ張りながら、歩く。

一日中のお出かけでは、子どもの着替えなどで重くなったバッグを持ちながら、電車で寝てしまった子どもを手で抱っこして帰る。腕は引きちぎれそうになった。

 

晴れた日や休日は公園にでかけ、身体を動かさせる。

もうやれることはない。

 

私自身やりきったなぁと思っても、りくは転ぶのが減りこそすれ、あいかわらずふらふらして、歩く。

 

そして浴びせられる専門家からの言葉。

 

「りくくんの運動神経の遅れは、『経験不足』ですね〜」

 

経験不足、、、。

ここまでやって、あとどれだけ経験すれば、息子は発達するのだろう??

「経験不足の一言で片付けてほしくない!」と私の心は悲鳴をあげる。

 

経験させるのをサボっているわけではないのです。

むしろ経験させようと必死なのです。

それでも、生まれつきの性質でなかなか発達しないのです。

 

目が見えない人に、「見ようとする経験が不足している」というのかな??

言わないはずだ。自閉症スペクトラム症やその傾向の人や、その養育者に対しても、その配慮はあったほうがいいと思う。

 

専門家の方を批判するつもりは毛頭ない。彼ら彼女たちがいるおかげで、発達障がいの子たちが苦しまない方向に進歩してきているのだと思うし、感謝することも多い。

だけれども、知人も「経験不足」という言葉に傷ついたということを伺い、やはりお互い気持ちよく生きていくために、嫌なことはイヤだと言いわかってもらう努力が必要だと感じた。

 

「経験不足」という、経験をうけさせることを怠っているような言葉を使ってほしくないな〜と思う。

言葉狩りではないけど、親が傷つく言葉はやはり避けてもらえればなぁと願っている。